平成26年浜松市建国記念の日奉祝式典の御案内
平成26年浜松市建国記念の日奉祝式典
■講師 マンリオ・カデロ大使
(在日外交団長・サンマリノ共和国駐日大使)
■講演テーマ 「世界最古」という誇り
↓式典のチラシです。クリックして拡大し、ご覧下さい。


■記念発表 太鼓尊塾 ”一心・尊鼓空”による和太鼓演奏
▼とき 2月11日(火)
開場 12:30
式典 13:00~14:15
講演 14:20~15:50
▼ところ 教育文化会館(はまホール)
浜松市中区利町302-7
▼料金 無料です
2月11日は、日本の建国を祝う大切な日です。
この日、浜松市におきまして建国記念の日奉祝式典を開催いたします。
今年は式典開催30周年にあたる記念の年です。
毎年素晴らしい講師においでいただき、ご好評をいただいている講演会ですが、昨年は田母神俊雄氏をお招きし、大変な盛況でございました。
田母神俊雄先生講演要約記事
http://hamamatsukenkoku.blog.fc2.com/
今年はイタリア半島のサンマリノ共和国の大使、マンリオ・カデロ大使閣下をお招きいたします。
大使は、在日30年の大の日本通です。
神社が大好きで、全国各地の神社を訪ね、昨年はとうとうサンマリノに神社を建立されました。
宮司さんはサンマリノ人で、日本の出羽三山神社で修行されたそうです。
サンマリノはとても小さな国ですが、共和国としては世界最古の歴史を誇ります。
世界最古の共和国サンマリノから、世界最古の君主国であるわが国日本への熱いメッセージをいただきます。
「神話は民族の文化であり、歴史の元であり、財産なのです。これを大切にしない国はやがて滅びるでしょう。
神武天皇は実在しなかったなどという人がいますが、キリストだってその実在を百パーセント証明するのは困難です。でも信じられています。日本の天皇は、百二十五代にわたって連綿と続いてきています。その初代の天皇が存在しないはずはないではありませんか。
世界には神話もないし歴史も浅いという国がたくさんあるのに、立派な神話があり長い歴史がある国に生まれたことがいかに幸せなことか。
いまの日本人にはもっと自分の足元を見つめてほしいと思います。」
「日本の息吹」平成二十五年五月号マンリオ・カデロ大使へのインタビューより抜粋
■講師 マンリオ・カデロ大使
(在日外交団長・サンマリノ共和国駐日大使)
■講演テーマ 「世界最古」という誇り
↓式典のチラシです。クリックして拡大し、ご覧下さい。


■記念発表 太鼓尊塾 ”一心・尊鼓空”による和太鼓演奏
▼とき 2月11日(火)
開場 12:30
式典 13:00~14:15
講演 14:20~15:50
▼ところ 教育文化会館(はまホール)
浜松市中区利町302-7
▼料金 無料です
2月11日は、日本の建国を祝う大切な日です。
この日、浜松市におきまして建国記念の日奉祝式典を開催いたします。
今年は式典開催30周年にあたる記念の年です。
毎年素晴らしい講師においでいただき、ご好評をいただいている講演会ですが、昨年は田母神俊雄氏をお招きし、大変な盛況でございました。
田母神俊雄先生講演要約記事
http://hamamatsukenkoku.blog.fc2.com/
今年はイタリア半島のサンマリノ共和国の大使、マンリオ・カデロ大使閣下をお招きいたします。
大使は、在日30年の大の日本通です。
神社が大好きで、全国各地の神社を訪ね、昨年はとうとうサンマリノに神社を建立されました。
宮司さんはサンマリノ人で、日本の出羽三山神社で修行されたそうです。
サンマリノはとても小さな国ですが、共和国としては世界最古の歴史を誇ります。
世界最古の共和国サンマリノから、世界最古の君主国であるわが国日本への熱いメッセージをいただきます。
「神話は民族の文化であり、歴史の元であり、財産なのです。これを大切にしない国はやがて滅びるでしょう。
神武天皇は実在しなかったなどという人がいますが、キリストだってその実在を百パーセント証明するのは困難です。でも信じられています。日本の天皇は、百二十五代にわたって連綿と続いてきています。その初代の天皇が存在しないはずはないではありませんか。
世界には神話もないし歴史も浅いという国がたくさんあるのに、立派な神話があり長い歴史がある国に生まれたことがいかに幸せなことか。
いまの日本人にはもっと自分の足元を見つめてほしいと思います。」
「日本の息吹」平成二十五年五月号マンリオ・カデロ大使へのインタビューより抜粋
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田母神俊雄氏 平成25年講師 浜松市建国記念の日奉祝式典
平成25年の浜松市建国記念の日奉祝式典では、記念講演に
第二十九代航空幕僚長
田母神 俊雄(たもがみ としお) 先生
をお招きいたしました。
↓クリックすると拡大します


記念講演要約
「志は高く、熱く燃えよ!」
第二十九代航空幕僚長
田母神 俊雄(たもがみ としお) 先生
日本は戦後教育のおかげで、国民が、日本は悪い国だった、だからみんなぶち壊してグローバルスタンダードというアメリカ的な国に合わせないといけないと、脅迫観念にとらわれているんですね。これを我々は克服する必要があると思います。
今日本は国を守るという観点で考えると、今なお自分の国を自分で守れないんです。
本来独立国というのは自主防衛、自分の国は自分で守るというのが基本です。これは人類普遍の原理です。守って貰っていれば、守ってくれている国に、守って貰っている以上の何かを提供しなければならないんです。そういうことがあって、アメリカは一応日本を守るということになっていますけれども、これも実は正しくないんですね。
アメリカは別に日本を守るためにアメリカ軍を駐留させているわけではないんです。アメリカの国益のために駐留させているんです。アメリカの方が、日米安保によって得ている利益はずっと大きいんですね。日米安保というのは、自動参戦ではないんです。日本が攻撃を受けた時に、アメリカが自動的に参戦して守ってくれるということにはなっていないんです。守るも守らないも、アメリカの自由意志に任されているんです。(中略)
世界の軍は国際法で動くんです。日本の自衛隊だけ、唯一国際法で動けないんです。国際法は、主に条約と慣習の集合体です。これとこれはやってはいけないが、あとは自由にやっていい。禁止規定とかネガティブリストで動くのが世界の軍です。これに対して自衛隊は一般の官公庁の行政事務と同じ扱いで動きます。根拠規定とか、ポジティブリストと呼ばれていますけれども、自衛隊法とか、イラク特措法とか、あらかじめ任務があって、やれと言われたことだけ例外的にいくつかできるだけなんです。よその国から、自衛隊を国際法で動かすなと言われているわけではないんです。日本政府自身が自衛隊の行動を縛っているんですね。
これは、憲法そのものに、「日本は悪い国だ」と書いてあるんですね。前文に、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意した」ということを書いてあるんですね。端的にいうと、日本の国は悪い国だと書いてあるんです。だから日教組も学校で憲法に忠実に子ども達に「日本は悪い国だ」と教えるわけなんです。これではろくな人間が出来上がりませんよ。(中略)
こういったことを改善していかなければいけないと思うんですけれども、歴史認識の誤り、日本が軍事的に強くなると必ず侵略戦争を始める、第二次大戦がそうだったという誤った歴史観があるからなんですね。
アメリカ発の歴史観を戦後強制されてきたんです。歴史は誰が作るんですか、戦勝国が作るんです。戦争に負けた日本は一時、戦勝国のアメリカの歴史観を強制されるんです。正義の国、民主国家アメリカ、極悪非道の独裁国家日本という構図の歴史です。しかし、独立したら、どこかの時点で我々日本国民が考える誇りある歴史を取り戻さなければ、国は衰退をするだけです。(中略)
この誤った歴史観が現在の日本政府の政策をみんな縛るんです。
よその国は歴史認識というのは過去の問題です。でも、日本でだけ現在進行形の問題なんです。
アメリカは日本が真珠湾攻撃をしたから日米戦争になったと言います。しかし、何故真珠湾攻撃をすることになったのかという前段は無視されているわけですね。真珠湾攻撃から日米戦争が始まったというアメリカの言い分は、忠臣蔵を吉良邸討ち入りの十二月十四日から始めるというのと同じ事です。殿中松の廊下から始まらなければ忠臣蔵にならない、そういうことなんですね。(中略)
世界史の中で、日本は大きな役割を果たしたということを、私たちは誇っていいと思うのです。国のために命を投げ出してくれた先人の努力があって、我々は今日の平和で豊かな楽しい生活があるわけです。この人達が祀られている靖国神社に総理大臣が参拝できないというのは、本当におかしなことだと思います。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
第二十九代航空幕僚長
田母神 俊雄(たもがみ としお) 先生
をお招きいたしました。
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記念講演要約
「志は高く、熱く燃えよ!」
第二十九代航空幕僚長
田母神 俊雄(たもがみ としお) 先生
日本は戦後教育のおかげで、国民が、日本は悪い国だった、だからみんなぶち壊してグローバルスタンダードというアメリカ的な国に合わせないといけないと、脅迫観念にとらわれているんですね。これを我々は克服する必要があると思います。
今日本は国を守るという観点で考えると、今なお自分の国を自分で守れないんです。
本来独立国というのは自主防衛、自分の国は自分で守るというのが基本です。これは人類普遍の原理です。守って貰っていれば、守ってくれている国に、守って貰っている以上の何かを提供しなければならないんです。そういうことがあって、アメリカは一応日本を守るということになっていますけれども、これも実は正しくないんですね。
アメリカは別に日本を守るためにアメリカ軍を駐留させているわけではないんです。アメリカの国益のために駐留させているんです。アメリカの方が、日米安保によって得ている利益はずっと大きいんですね。日米安保というのは、自動参戦ではないんです。日本が攻撃を受けた時に、アメリカが自動的に参戦して守ってくれるということにはなっていないんです。守るも守らないも、アメリカの自由意志に任されているんです。(中略)
世界の軍は国際法で動くんです。日本の自衛隊だけ、唯一国際法で動けないんです。国際法は、主に条約と慣習の集合体です。これとこれはやってはいけないが、あとは自由にやっていい。禁止規定とかネガティブリストで動くのが世界の軍です。これに対して自衛隊は一般の官公庁の行政事務と同じ扱いで動きます。根拠規定とか、ポジティブリストと呼ばれていますけれども、自衛隊法とか、イラク特措法とか、あらかじめ任務があって、やれと言われたことだけ例外的にいくつかできるだけなんです。よその国から、自衛隊を国際法で動かすなと言われているわけではないんです。日本政府自身が自衛隊の行動を縛っているんですね。
これは、憲法そのものに、「日本は悪い国だ」と書いてあるんですね。前文に、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意した」ということを書いてあるんですね。端的にいうと、日本の国は悪い国だと書いてあるんです。だから日教組も学校で憲法に忠実に子ども達に「日本は悪い国だ」と教えるわけなんです。これではろくな人間が出来上がりませんよ。(中略)
こういったことを改善していかなければいけないと思うんですけれども、歴史認識の誤り、日本が軍事的に強くなると必ず侵略戦争を始める、第二次大戦がそうだったという誤った歴史観があるからなんですね。
アメリカ発の歴史観を戦後強制されてきたんです。歴史は誰が作るんですか、戦勝国が作るんです。戦争に負けた日本は一時、戦勝国のアメリカの歴史観を強制されるんです。正義の国、民主国家アメリカ、極悪非道の独裁国家日本という構図の歴史です。しかし、独立したら、どこかの時点で我々日本国民が考える誇りある歴史を取り戻さなければ、国は衰退をするだけです。(中略)
この誤った歴史観が現在の日本政府の政策をみんな縛るんです。
よその国は歴史認識というのは過去の問題です。でも、日本でだけ現在進行形の問題なんです。
アメリカは日本が真珠湾攻撃をしたから日米戦争になったと言います。しかし、何故真珠湾攻撃をすることになったのかという前段は無視されているわけですね。真珠湾攻撃から日米戦争が始まったというアメリカの言い分は、忠臣蔵を吉良邸討ち入りの十二月十四日から始めるというのと同じ事です。殿中松の廊下から始まらなければ忠臣蔵にならない、そういうことなんですね。(中略)
世界史の中で、日本は大きな役割を果たしたということを、私たちは誇っていいと思うのです。国のために命を投げ出してくれた先人の努力があって、我々は今日の平和で豊かな楽しい生活があるわけです。この人達が祀られている靖国神社に総理大臣が参拝できないというのは、本当におかしなことだと思います。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
占部賢志氏 平成24年講師 浜松市建国記念の日奉祝式典
平成24年の浜松市建国記念の日奉祝式典では、記念講演に
中村学園大学教授
占部賢志(うらべ けんし)先生
をお招きいたしました。
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記念講演要約
「甦る瑞穂の国の物語」
「建国記念の日」と日本人の国民性
中村学園大学教授
占部 賢志(うらべ けんし) 先生
二月十一日に神武天皇が東征を終えられ、橿原の地において建国を宣言なされたと、「日本書紀」にあります。これは荒唐無稽だという勢力もずいぶん多かったのです。なぜかというと、神武天皇が建国を宣言なさって西暦で数えますと、今年は二千六百七十二年、そんなことはあり得ないというわけなんです。
皆さん方はどのように答えられますか?日本人ならば、こういう批判にきちんと答えられなくてはいけないのです。
八世紀に、日本は国を挙げて歴史書を作ります。日本書紀です。過去の歴史を刻むとき、年代が必要です。この時中国から入ってきた讖緯説(しんいせつ)(十干十二支)を使って年代を刻み始めました。
どこに基準を置いたかというと、まず(西暦)六百一年が日本の大変革の年と見たのです。ここから遡って神武天皇が橿原で建国の宣言をなさったのはこの年なのだと決定したのです。
この六百一年がどういう年かということで、聖徳太子の偉業をご紹介します。
太子は都合三回、遣隋使を派遣されました。これは尋常じゃない派遣でした。当時の超大国である随に太子は初めて対等の口をきいたのです。
隋は絶対に日本を攻めることができないのを、ちゃんと外交戦略として読んで、太子は遣隋使を派遣しました。
随の陽帝は野望を拡大するために、まず高句麗という国を滅ぼそうとして、大遠征軍を何度も送って失敗します。その瞬間瞬間を狙って、太子は遣隋使を派遣したんです。
それまで我が国は(例えば)一世紀、漢の倭の奴(な)の国王という金印を中国からもらいましたね。日本の奴の国の王は、当時の後漢の光武帝という皇帝の子分になって、それをありがたがったんです。これで中国の庇護を受けながら国際社会の仲間入りが出来る、そういう関係だったんです。中国の当時の皇帝の配下に入ることが、国家が安泰に過ごしていける唯一の方法だったんです。
ところがこれに対して聖徳太子は
「日いづる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」
と、世界の中で初めて中国の皇帝に対等の口をきいたんです。だからこれを読んだとき陽帝は、激怒したんですよ。
だけども日本に軍隊は派遣できなかった。小野妹子を帰国させるとき、外交官をつけています。中国が初めて、外交官を自分の国から相手の国に派遣したのです。
これは何だったか。
あの隋の皇帝に呈した国書というのは、世界最初の独立宣言の書だったんです。そのことの意味を教育の世界で教えなくちゃならないんです。
だから、そのスタートである、太子自らが内治外交に乗り出す六百一年、その年が神武天皇のあとを受け継いだ、日本が世界に乗り出していく大きな節目の年、ここを辛酉(しんゆう)の年として、ここから遡って建国の創業と決めたんです。
何が事実かということばっかりにみな夢中になるのです。一番大切なのは、古代人は何を事実としたのかということです。
(この後、ポーランドの孤児たちを救った大正時代の日本の外交官、看護婦たちの話、ブータンを農業立国にした昭和の日本人の苦闘の話、この二つの国と日本の心の絆の話をされ、日本人の国民性に触れ、聴衆の感動を呼んだ。)
去年のあの震災、この長い歴史と伝統を持つ日本が、今ピンチであります。
このピンチを救う力は、日本国民の国民運動であります。その土台はいったい何か。
それはまさに先ほど言いました、大正、昭和に私たちの先輩が見せたこの心、惻隠(そくいん)の心であります。そして、日本復興に立ち上がるのは、誰かではないんです、この自分が立つと言うしかないんですね。
そして、自分の周囲に、ささやかでもいい、真の日本人の惻隠の心を寄せていく、それぞれの職域に応じた活動を展開しようではありませんか。それが、長い伝統を持つこの日本の建国の創業に応えていく道であります。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
中村学園大学教授
占部賢志(うらべ けんし)先生
をお招きいたしました。
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記念講演要約
「甦る瑞穂の国の物語」
「建国記念の日」と日本人の国民性
中村学園大学教授
占部 賢志(うらべ けんし) 先生
二月十一日に神武天皇が東征を終えられ、橿原の地において建国を宣言なされたと、「日本書紀」にあります。これは荒唐無稽だという勢力もずいぶん多かったのです。なぜかというと、神武天皇が建国を宣言なさって西暦で数えますと、今年は二千六百七十二年、そんなことはあり得ないというわけなんです。
皆さん方はどのように答えられますか?日本人ならば、こういう批判にきちんと答えられなくてはいけないのです。
八世紀に、日本は国を挙げて歴史書を作ります。日本書紀です。過去の歴史を刻むとき、年代が必要です。この時中国から入ってきた讖緯説(しんいせつ)(十干十二支)を使って年代を刻み始めました。
どこに基準を置いたかというと、まず(西暦)六百一年が日本の大変革の年と見たのです。ここから遡って神武天皇が橿原で建国の宣言をなさったのはこの年なのだと決定したのです。
この六百一年がどういう年かということで、聖徳太子の偉業をご紹介します。
太子は都合三回、遣隋使を派遣されました。これは尋常じゃない派遣でした。当時の超大国である随に太子は初めて対等の口をきいたのです。
隋は絶対に日本を攻めることができないのを、ちゃんと外交戦略として読んで、太子は遣隋使を派遣しました。
随の陽帝は野望を拡大するために、まず高句麗という国を滅ぼそうとして、大遠征軍を何度も送って失敗します。その瞬間瞬間を狙って、太子は遣隋使を派遣したんです。
それまで我が国は(例えば)一世紀、漢の倭の奴(な)の国王という金印を中国からもらいましたね。日本の奴の国の王は、当時の後漢の光武帝という皇帝の子分になって、それをありがたがったんです。これで中国の庇護を受けながら国際社会の仲間入りが出来る、そういう関係だったんです。中国の当時の皇帝の配下に入ることが、国家が安泰に過ごしていける唯一の方法だったんです。
ところがこれに対して聖徳太子は
「日いづる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」
と、世界の中で初めて中国の皇帝に対等の口をきいたんです。だからこれを読んだとき陽帝は、激怒したんですよ。
だけども日本に軍隊は派遣できなかった。小野妹子を帰国させるとき、外交官をつけています。中国が初めて、外交官を自分の国から相手の国に派遣したのです。
これは何だったか。
あの隋の皇帝に呈した国書というのは、世界最初の独立宣言の書だったんです。そのことの意味を教育の世界で教えなくちゃならないんです。
だから、そのスタートである、太子自らが内治外交に乗り出す六百一年、その年が神武天皇のあとを受け継いだ、日本が世界に乗り出していく大きな節目の年、ここを辛酉(しんゆう)の年として、ここから遡って建国の創業と決めたんです。
何が事実かということばっかりにみな夢中になるのです。一番大切なのは、古代人は何を事実としたのかということです。
(この後、ポーランドの孤児たちを救った大正時代の日本の外交官、看護婦たちの話、ブータンを農業立国にした昭和の日本人の苦闘の話、この二つの国と日本の心の絆の話をされ、日本人の国民性に触れ、聴衆の感動を呼んだ。)
去年のあの震災、この長い歴史と伝統を持つ日本が、今ピンチであります。
このピンチを救う力は、日本国民の国民運動であります。その土台はいったい何か。
それはまさに先ほど言いました、大正、昭和に私たちの先輩が見せたこの心、惻隠(そくいん)の心であります。そして、日本復興に立ち上がるのは、誰かではないんです、この自分が立つと言うしかないんですね。
そして、自分の周囲に、ささやかでもいい、真の日本人の惻隠の心を寄せていく、それぞれの職域に応じた活動を展開しようではありませんか。それが、長い伝統を持つこの日本の建国の創業に応えていく道であります。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
竹田恒泰氏 平成23年講師 浜松市建国記念の日奉祝式典
平成23年の浜松市建国記念の日奉祝式典では、記念講演に
作家・慶應義塾大学講師
竹田恒泰先生
をお招きいたしました。
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記念講演要約
「日本人にとって建国記念日とは何か」
―現存する世界最古の国家の意義について考える―
作家・慶應義塾大学講師
竹田恒泰 先生
何も天皇は武力腕力があって二千年無理に居座っていたわけじゃない。天皇を亡き者にしようという人がいなかっただけです。だって、天皇陛下って何をなさっているか。国民一人ひとりの幸せを祈っているわけです。国民と書いて「おほみたから」とお読みになるんですよ。陛下にとって最も大切なものは、国民、「おほみたから」であります。
ですから、国民が危機に瀕すると、歴代の天皇は、わが身を投げ出して国民を守ろうとされてきた。これが日本の歴史であります。
天皇が国民に与える愛情というのは、親子の愛情に似ています。親が子供に与える愛情というのは、見返りを求めない真実の愛情。無限の愛情です。それが一億何千万人もいるから、俺に対する愛情はちっぽけだ、違いますよ!子供が何人増えたって、愛情全体の大きさは大きくなることはあっても、一人ひとりに対する愛情は減りませんね。(中略)
吾々日本人は、天皇陛下の愛情の一億二千万分の一を受けているんじゃないんですよ。天皇陛下のそのままの百パーセントの愛情全体を一人ひとりが受けているんです。勿論顔も知らないかもしれない、でも、そんなことは関係ないです。これが、天皇というものなんです。
日本書紀に書いてあります。仁徳天皇は、「天が君主を立てたのは、民のためである。民が一人でも飢えたならば、それは天皇のせいだ」と仰せになった。国民のために天皇がある。国民が不幸せになったら、天皇のせいだと、天皇自ら仰せになった。これは、日本国民なら、「ああ、天皇ってそういうもんなんだろうな」と、昭和天皇のお姿とか、今上様のお姿を考えて納得しやすいかもしれない。でも、海外、よその国ではそんなことありません。天皇は国民のことを愛し、そのような無限の愛を受け取った国民一人ひとりは、天皇のことを深く信頼申し上げ、そして、お慕い申し上げる。
この天皇と国民の間の絆は、何をもってしても断ち切ることができない。国難が大きければ大きいほどますますこの絆が増えていく。こういう関係であります。
ですから、昭和天皇がマッカーサーの前にお進みになったとき、なんと仰せになったか。元帥は、昭和天皇は命乞いをしにくると思っていた。ところが、昭和天皇が仰せになったのは、「この戦争のすべての責任は自分にある。自分の命はどうなっても構わない。一億の民を飢えさせないでほしい。」
これは、本心で思っていなければ言えません。で、マッカーサーは、その日の日記にこのように書きました。
「自分は初めて神のような帝王の姿を見た。」
これによってマッカーサーの対日政策はがらっと変わります。皇室を廃絶するつもりだったのが、皇室を残すということに方向転換したわけであります。
今言った昭和天皇のお言葉は、必ずしも昭和天皇のお人柄のみから出たものではない。なぜなら、悠久の歴史の中で、幾度も国難がありました。たとえば、元寇、中国が日本の侵略を目指して軍を派遣したとき、亀山上皇は、伊勢の神宮に宣命を奉られた。その宣命(せんみょう)が今残っています。
「自分の命はどうなってもよい。民を助けてほしい。」
いいですか、神様に自分の命はどうなってもよいというのは、これは真実の言葉です。よしわかった、じゃあ国を守ってやろう、その代わりお前の命をいただく、というとき、「どうぞ」と差し出す覚悟がなければ、神にそのような言葉を申し上げることはできないはずです。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
作家・慶應義塾大学講師
竹田恒泰先生
をお招きいたしました。
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記念講演要約
「日本人にとって建国記念日とは何か」
―現存する世界最古の国家の意義について考える―
作家・慶應義塾大学講師
竹田恒泰 先生
何も天皇は武力腕力があって二千年無理に居座っていたわけじゃない。天皇を亡き者にしようという人がいなかっただけです。だって、天皇陛下って何をなさっているか。国民一人ひとりの幸せを祈っているわけです。国民と書いて「おほみたから」とお読みになるんですよ。陛下にとって最も大切なものは、国民、「おほみたから」であります。
ですから、国民が危機に瀕すると、歴代の天皇は、わが身を投げ出して国民を守ろうとされてきた。これが日本の歴史であります。
天皇が国民に与える愛情というのは、親子の愛情に似ています。親が子供に与える愛情というのは、見返りを求めない真実の愛情。無限の愛情です。それが一億何千万人もいるから、俺に対する愛情はちっぽけだ、違いますよ!子供が何人増えたって、愛情全体の大きさは大きくなることはあっても、一人ひとりに対する愛情は減りませんね。(中略)
吾々日本人は、天皇陛下の愛情の一億二千万分の一を受けているんじゃないんですよ。天皇陛下のそのままの百パーセントの愛情全体を一人ひとりが受けているんです。勿論顔も知らないかもしれない、でも、そんなことは関係ないです。これが、天皇というものなんです。
日本書紀に書いてあります。仁徳天皇は、「天が君主を立てたのは、民のためである。民が一人でも飢えたならば、それは天皇のせいだ」と仰せになった。国民のために天皇がある。国民が不幸せになったら、天皇のせいだと、天皇自ら仰せになった。これは、日本国民なら、「ああ、天皇ってそういうもんなんだろうな」と、昭和天皇のお姿とか、今上様のお姿を考えて納得しやすいかもしれない。でも、海外、よその国ではそんなことありません。天皇は国民のことを愛し、そのような無限の愛を受け取った国民一人ひとりは、天皇のことを深く信頼申し上げ、そして、お慕い申し上げる。
この天皇と国民の間の絆は、何をもってしても断ち切ることができない。国難が大きければ大きいほどますますこの絆が増えていく。こういう関係であります。
ですから、昭和天皇がマッカーサーの前にお進みになったとき、なんと仰せになったか。元帥は、昭和天皇は命乞いをしにくると思っていた。ところが、昭和天皇が仰せになったのは、「この戦争のすべての責任は自分にある。自分の命はどうなっても構わない。一億の民を飢えさせないでほしい。」
これは、本心で思っていなければ言えません。で、マッカーサーは、その日の日記にこのように書きました。
「自分は初めて神のような帝王の姿を見た。」
これによってマッカーサーの対日政策はがらっと変わります。皇室を廃絶するつもりだったのが、皇室を残すということに方向転換したわけであります。
今言った昭和天皇のお言葉は、必ずしも昭和天皇のお人柄のみから出たものではない。なぜなら、悠久の歴史の中で、幾度も国難がありました。たとえば、元寇、中国が日本の侵略を目指して軍を派遣したとき、亀山上皇は、伊勢の神宮に宣命を奉られた。その宣命(せんみょう)が今残っています。
「自分の命はどうなってもよい。民を助けてほしい。」
いいですか、神様に自分の命はどうなってもよいというのは、これは真実の言葉です。よしわかった、じゃあ国を守ってやろう、その代わりお前の命をいただく、というとき、「どうぞ」と差し出す覚悟がなければ、神にそのような言葉を申し上げることはできないはずです。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
クライン孝子氏 平成22年講師 浜松市建国記念の日奉祝式典
平成22年の浜松市建国記念の日奉祝式典では、記念講演に
ドイツ在住 ノンフィクション作家の
クライン孝子先生 をお招きいたしました。
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記念発表は魁鼓/KAIKO/500の皆さんの和太鼓演奏でした。
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記念講演要約
「日本よ、再び立ち上がれ!」
―お人好しの日本人、したたかなドイツ人―
ドイツ在住・ノンフィクション作家
クライン孝子 先生
今年は、(皇紀)二千六百七十年だから、あと三十年で日本は建国二千七百年になります。そして皇室はというと、これは世界一古いです。二番目はモロッコです。そして、世界一古い、由緒ある皇室を戴いている私たち日本人。
今も私が皇室にありがたいと思うことの一つは、沢山ある中で、日本書紀とか、古事記の時代からある和歌ですね、短歌。日本はね、世界の中でここまで落ちて、世界から見ると日本は本当に無視されちゃってます。その中で、天皇陛下は、コツコツ、コツコツと歌を詠い続けている。それも、世界に向けて詠ってくださっている。私が一番好きなのは、ドイツを思ってくださる天皇陛下と皇后陛下の御歌。
東西を隔てし壁の払はれて「歓喜の歌」は我を迎ふる
これ天皇陛下。
皇后陛下は、
われらこの秋を記憶せむ朝の日にブランデンブルグ門明るかりしを
あ~、ドイツのことを思ってくださったんだ、と思います。
日本は第二次大戦に負けました。ドイツの場合は、第一次大戦も第二次大戦も負けました。でも、ドイツは、政治は右も左も根本のところでは一緒なんです。一つは、憲法は自分で作る。二つ目は、自分の領土は自分で守る。三つめは、歴史的な、日本で言えば神社、靖国神社もそうですけど、そういう自分のものは自分たちで守って語り継ぐ、そういう風にして、戦後百年計画であと四十年くらいですけれども、やってきています。(中略)
それから見ると、日本は、確かに沖縄も取られてしまった。北方領土もまだ還ってきません。とはいえ、アメリカは、日本をを防波堤にしたかったために、一つにまとめてくれた。政治的には骨抜きにしたかもしれないけれども、豊かにしてくれた。そのために、日本はゼロになっていたけど、世界一、二の立派な国に戻りました。
アメリカがそういうことをしたというのは、共産主義のお蔭なんです。日本をリッチにしなければ、あっという間に日本も共産主義化していたと思う。(中略)リッチな国になっていれば、ソ連とて日本を共産主義にはできないんです。もう一つ、天皇家をアメリカもかなり利用しました。日本にとっては、天皇というのは、どんな時であれ、一体になるシンボルなわけですから、残してくれた。それで、今までやってこられたのです。ところが、リッチな国になったけれども、思想がゼロになってしまった。(中略)
私たち七十代以上の者が何をやれるか、若い人達は頑張って欲しい、私たち応援しますから。私たちにやれることといったら、やっぱり若い人達を助けながら、その伝統を伝えていくことだと思う。
今回も私は、靖国神社にホテルから歩いてお参りしてきました。三百何十万人の人達が、この国のために戦って、そして散って行った。その人達に、御礼が言えない、これほど国を裏切っている人達はいないと思う。
私がすごく腹が立ったのは、鳩山さんが、韓国に行って軍人墓地にお花を供えたこと。なんでそれができて、日本の靖国神社にお参りしないのか。本当に悲しくなりました。そしてそれを、マスコミは同行しているんだから、一社くらい書けばいいじゃないですか。なんで書かなかったんですか。(中略)
真実というのは百のうち一つ必ずあるんです。それを見極められる知恵を日本人がつけること。それが最も大事なことだと思います。それは、一人一人がそういうことを学んでいかなければならない。
今の問題は外国人参政権。これを正しく教えること。具体的に。これは絶対おかしいです。一旦これ通したら、元に戻らない。どうか頑張ってください。私はドイツから応援します。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
ドイツ在住 ノンフィクション作家の
クライン孝子先生 をお招きいたしました。
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記念発表は魁鼓/KAIKO/500の皆さんの和太鼓演奏でした。
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記念講演要約
「日本よ、再び立ち上がれ!」
―お人好しの日本人、したたかなドイツ人―
ドイツ在住・ノンフィクション作家
クライン孝子 先生
今年は、(皇紀)二千六百七十年だから、あと三十年で日本は建国二千七百年になります。そして皇室はというと、これは世界一古いです。二番目はモロッコです。そして、世界一古い、由緒ある皇室を戴いている私たち日本人。
今も私が皇室にありがたいと思うことの一つは、沢山ある中で、日本書紀とか、古事記の時代からある和歌ですね、短歌。日本はね、世界の中でここまで落ちて、世界から見ると日本は本当に無視されちゃってます。その中で、天皇陛下は、コツコツ、コツコツと歌を詠い続けている。それも、世界に向けて詠ってくださっている。私が一番好きなのは、ドイツを思ってくださる天皇陛下と皇后陛下の御歌。
東西を隔てし壁の払はれて「歓喜の歌」は我を迎ふる
これ天皇陛下。
皇后陛下は、
われらこの秋を記憶せむ朝の日にブランデンブルグ門明るかりしを
あ~、ドイツのことを思ってくださったんだ、と思います。
日本は第二次大戦に負けました。ドイツの場合は、第一次大戦も第二次大戦も負けました。でも、ドイツは、政治は右も左も根本のところでは一緒なんです。一つは、憲法は自分で作る。二つ目は、自分の領土は自分で守る。三つめは、歴史的な、日本で言えば神社、靖国神社もそうですけど、そういう自分のものは自分たちで守って語り継ぐ、そういう風にして、戦後百年計画であと四十年くらいですけれども、やってきています。(中略)
それから見ると、日本は、確かに沖縄も取られてしまった。北方領土もまだ還ってきません。とはいえ、アメリカは、日本をを防波堤にしたかったために、一つにまとめてくれた。政治的には骨抜きにしたかもしれないけれども、豊かにしてくれた。そのために、日本はゼロになっていたけど、世界一、二の立派な国に戻りました。
アメリカがそういうことをしたというのは、共産主義のお蔭なんです。日本をリッチにしなければ、あっという間に日本も共産主義化していたと思う。(中略)リッチな国になっていれば、ソ連とて日本を共産主義にはできないんです。もう一つ、天皇家をアメリカもかなり利用しました。日本にとっては、天皇というのは、どんな時であれ、一体になるシンボルなわけですから、残してくれた。それで、今までやってこられたのです。ところが、リッチな国になったけれども、思想がゼロになってしまった。(中略)
私たち七十代以上の者が何をやれるか、若い人達は頑張って欲しい、私たち応援しますから。私たちにやれることといったら、やっぱり若い人達を助けながら、その伝統を伝えていくことだと思う。
今回も私は、靖国神社にホテルから歩いてお参りしてきました。三百何十万人の人達が、この国のために戦って、そして散って行った。その人達に、御礼が言えない、これほど国を裏切っている人達はいないと思う。
私がすごく腹が立ったのは、鳩山さんが、韓国に行って軍人墓地にお花を供えたこと。なんでそれができて、日本の靖国神社にお参りしないのか。本当に悲しくなりました。そしてそれを、マスコミは同行しているんだから、一社くらい書けばいいじゃないですか。なんで書かなかったんですか。(中略)
真実というのは百のうち一つ必ずあるんです。それを見極められる知恵を日本人がつけること。それが最も大事なことだと思います。それは、一人一人がそういうことを学んでいかなければならない。
今の問題は外国人参政権。これを正しく教えること。具体的に。これは絶対おかしいです。一旦これ通したら、元に戻らない。どうか頑張ってください。私はドイツから応援します。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
桂由美氏 平成21年講師 浜松市建国記念の日奉祝式典
平成21年の浜松市建国記念の日奉祝式典では、記念講演に
ブライダルファッションデザイナーの
桂 由美氏をお招きいたしました。
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記念講演要約
「日本文化を世界に発信して」
ブライダルファッションデザイナー
桂 由美(かつら ゆみ) 先生
(日本で)ようやく海外渡航が許された頃、一年間パリに留学したのですが、その時に本当に痛切に感じたのは、やはり人種差別でした。今、日本人はどこでもウェルカムですが、その当時はビジネスの方などは、なかなか部屋を貸してくれないなど、明らかに差別待遇だと思われるようなことがありました。
私はパリからファッションのエレガンスを学んだと思いますけれども、その一年間にそういう目に何度か遭っていて、「そのうちやるぞ!」と思ったんですね。日本人というのはそんなに劣等じゃない、ある程度力を持っていましたが、戦争には負けちゃったんですから、これはなんとも言い訳が立たないわけで、
「戦争には負けたけど文化では勝つよ!」
という風に思っていました。
少なくともファッションに於いて世界基準になる、追い抜けるかどうかはわからないけれど、少なくとも並ぶと。
特に私の専攻であるブライダルファッションでは、当時はフランス、イタリアやニューヨークあたりが先進だったんですが、一段低いところにアジアというものはあると。日本を含めて韓国中国と。どんなことを日本人はやるのかなという目で見られていました。
私がこの仕事に入ってから一番恐れていたことは、日本のウェディングに品格がなくなることです。これはウェディングに限りませんけど、やっぱり日本人が世界に誇るものがあるとすれば、それは品格なんですよね。
上品さとか、品位とか、礼儀正しさとか、そういうものがやはり今まで色々な海外の評論家とか、小説家が日本に来たときに、日本を褒めて帰っています。「こんなに礼儀正しい国民があったか」とか、「こんなに人のもてなし方に品格がある」例えば茶道なんかそうですよね、そういうものを、日本で発見したということを書いていらっしゃいますよね。それをやはり、裏切ってはいけないと思うんです。(中略)
本当に日本はいい国だって思います。よくジャーナリストの方に、「桂さんどこの国が一番好き?」って聞かれたときに、「やっぱり日本よ」って言いますね。それは、それぞれの国に特色があるんですけれど、日本に生まれてよかった、ずーっと住みたいって思う五つの理由が私にはあります。
その一つがやはり景観ですね、自然の景観。静岡の方は特に羨ましいと思いますけれど、富士山は他にはないじゃないですか、よくもあんなふうに自然の造詣ができたなあと思うんですね。
そして四季ですね。色んな花が一遍に咲いちゃう国もあるんですよね。春夏秋冬それぞれの自然があるというのは、本当に素晴らしい国だと思っています。
そして、衣食住、和装というものを世界各国の衣装と比べてみた時に、一番芸術的、アーティスティックだと思うんですよね。あれだけ芸術的な民族服というのは世界のどこの国にもないと思っています。だから、今のように皆様方が着物を着なくなるというのは、本当に残念なことなんです。(中略)
今、本当に民族服の結婚式、民族の伝統を持った結婚式を欧米で見ることは、至難の業になってしまいました。だけど、日本は、これは日本的な知恵だったと思うのですけれど、儀式は厳粛で、白での儀式服。そして、華やかな披露宴、宴会になったときには、その華やかな席に合わせたドレスなり、色の着物なりを着る、「お色直し」というものがあって、もしこれが一着だったら、やはりウェディングドレス一着になってしまったかもしれないと思うのです。
私パリで勉強していた間、いつの日か欧米と並ぶ、そしてできれば抜きたいと思ったとき、今日本の婚礼を見たときに、ほんとに遜色なくなったと思うんですよね。(中略)特に、着物っていうものは本当に絶対的なもので、あれを見て「品がない」とか、「よくない」などと外国人が言うことはほとんどないです。やっぱり素晴らしいという。完璧なまでに研ぎ澄まされた美というものがあります。
ですから、私の専門のウェディングについて申しますならば、和洋の両立、つまり日本の伝統美を現代の洋風の中に生かしていくこと、それがこれからのこの業界をしょって立つ人、勿論私を含めて、やっていかなければならないことだと思っています。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
ブライダルファッションデザイナーの
桂 由美氏をお招きいたしました。
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記念講演要約
「日本文化を世界に発信して」
ブライダルファッションデザイナー
桂 由美(かつら ゆみ) 先生
(日本で)ようやく海外渡航が許された頃、一年間パリに留学したのですが、その時に本当に痛切に感じたのは、やはり人種差別でした。今、日本人はどこでもウェルカムですが、その当時はビジネスの方などは、なかなか部屋を貸してくれないなど、明らかに差別待遇だと思われるようなことがありました。
私はパリからファッションのエレガンスを学んだと思いますけれども、その一年間にそういう目に何度か遭っていて、「そのうちやるぞ!」と思ったんですね。日本人というのはそんなに劣等じゃない、ある程度力を持っていましたが、戦争には負けちゃったんですから、これはなんとも言い訳が立たないわけで、
「戦争には負けたけど文化では勝つよ!」
という風に思っていました。
少なくともファッションに於いて世界基準になる、追い抜けるかどうかはわからないけれど、少なくとも並ぶと。
特に私の専攻であるブライダルファッションでは、当時はフランス、イタリアやニューヨークあたりが先進だったんですが、一段低いところにアジアというものはあると。日本を含めて韓国中国と。どんなことを日本人はやるのかなという目で見られていました。
私がこの仕事に入ってから一番恐れていたことは、日本のウェディングに品格がなくなることです。これはウェディングに限りませんけど、やっぱり日本人が世界に誇るものがあるとすれば、それは品格なんですよね。
上品さとか、品位とか、礼儀正しさとか、そういうものがやはり今まで色々な海外の評論家とか、小説家が日本に来たときに、日本を褒めて帰っています。「こんなに礼儀正しい国民があったか」とか、「こんなに人のもてなし方に品格がある」例えば茶道なんかそうですよね、そういうものを、日本で発見したということを書いていらっしゃいますよね。それをやはり、裏切ってはいけないと思うんです。(中略)
本当に日本はいい国だって思います。よくジャーナリストの方に、「桂さんどこの国が一番好き?」って聞かれたときに、「やっぱり日本よ」って言いますね。それは、それぞれの国に特色があるんですけれど、日本に生まれてよかった、ずーっと住みたいって思う五つの理由が私にはあります。
その一つがやはり景観ですね、自然の景観。静岡の方は特に羨ましいと思いますけれど、富士山は他にはないじゃないですか、よくもあんなふうに自然の造詣ができたなあと思うんですね。
そして四季ですね。色んな花が一遍に咲いちゃう国もあるんですよね。春夏秋冬それぞれの自然があるというのは、本当に素晴らしい国だと思っています。
そして、衣食住、和装というものを世界各国の衣装と比べてみた時に、一番芸術的、アーティスティックだと思うんですよね。あれだけ芸術的な民族服というのは世界のどこの国にもないと思っています。だから、今のように皆様方が着物を着なくなるというのは、本当に残念なことなんです。(中略)
今、本当に民族服の結婚式、民族の伝統を持った結婚式を欧米で見ることは、至難の業になってしまいました。だけど、日本は、これは日本的な知恵だったと思うのですけれど、儀式は厳粛で、白での儀式服。そして、華やかな披露宴、宴会になったときには、その華やかな席に合わせたドレスなり、色の着物なりを着る、「お色直し」というものがあって、もしこれが一着だったら、やはりウェディングドレス一着になってしまったかもしれないと思うのです。
私パリで勉強していた間、いつの日か欧米と並ぶ、そしてできれば抜きたいと思ったとき、今日本の婚礼を見たときに、ほんとに遜色なくなったと思うんですよね。(中略)特に、着物っていうものは本当に絶対的なもので、あれを見て「品がない」とか、「よくない」などと外国人が言うことはほとんどないです。やっぱり素晴らしいという。完璧なまでに研ぎ澄まされた美というものがあります。
ですから、私の専門のウェディングについて申しますならば、和洋の両立、つまり日本の伝統美を現代の洋風の中に生かしていくこと、それがこれからのこの業界をしょって立つ人、勿論私を含めて、やっていかなければならないことだと思っています。
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
森田健作氏 平成20年講師 浜松市建国記念の日奉祝式典
平成20年の浜松市建国記念の日奉祝式典では、記念講演に
森田健作氏をお招きいたしました。
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講演の概要は次の通りです。
記念講演
「よみがえれ、日本人!」
―家庭力が子供たちを救う―
俳優・元衆議院議員
森田(もりた)健作(けんさく) 先生
私の父親は明治生まれでありまして、去年他界しましたが、それこそ、お祝いの日、勿論建国記念の日を含めて日本の国旗日の丸を掲げたものであります。
私の実家の客間には教育勅語が飾ってありました。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」で、私の大好きなところは、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」というところです。
丁度、私たち団塊の世代は、当時日教組が、そういうものを否定したような教育が多うございました。その中で父親は私に「どんなに時代が過ぎようと、どんなに新しいものが入ってこようと、いいものはいいんだ!」と言っておりました。私もまったく賛成でございます。
私の叔父二人も、一人はミンダナオ島、そして一人は太平洋上で亡くなっております。父親からそういう話を聞くたびに、なるほど、先人達は自分の青春、命を賭けてこの国を守ってきたんだなと感じます。
私たちは平和と豊かさを享受しております。しかし、それは先人たちの、それこそ素晴らしい努力と血と汗の上に立っているんだということを、私は改めて建国記念の日に、今日来る前、息子にも言ってきたんです。
私も約十二年、国政の場で働かせていただきました。皆さん、日本人というのは素晴らしい国民ですよ。国連などでも利害と利害のぶつかり合いで、言うなれば、武器を持っていない戦場ですよ。各国の要人にも会いました。しかし、振り返ってみて、我が日本の国民性こそ、人を思いやる、和を大切にする、これは、私たち日本人として大いに誇れるところなのかなあと思います。(中略)
ある東南アジアの国会議員の皆さんと会ったとき、
「森田さん、日本はあれだけの経済大国で、あれだけの力を持っているのに、なぜもっと指導力を出さないんだ。なぜもっと自分の意見をはっきり言わないんだ。やったっていいじゃないか。私たちはそれを期待している。」そういうことを何人もの要人、経済界の方から聞かされました。(中略)
以前、各国の野球少年がアメリカで親善試合をやったんですが、私の日系の友人が行ったんですね。そして、試合をやる前に、アメリカの国旗を仰いで国歌斉唱であります。みんな立ちました。少年達も役員も立ちました。ところが、日本の子供達だけみんな座っている。中にはポップコーン食べながら、「おお、これが星条旗か。」なんてやってる者もいる。それを見た友人は、「なんなんだ、日本人は。そりゃあ日本の中では色んな考えもあるかもしれない。でも、これは世界だ。その国に来たら、その国の国旗国歌に対して敬意を表するのは当たり前のことだ。それを何で日本人はできないんだ!」
私、これを聞いたときに、「ああ・・」と思った。これから日本人は国際人になるんだ、世界との外交はなんだかんだと偉そうなことを言っているわりには、当たり前のことをちっとも私たちは子供達に教育してこなかったんです。日本の教育は間違っていたんですよ、皆さん!(中略)
でも皆さん、私たちが踏ん張らないでどうしますか。「定年を迎えた」「オレはもう終わった」終わったじゃないですよ!皆さん、頑張ろうという気持ちを持ちましょうよ。そして、必ず私は、私たちが頑張れば、子供達がそれこそ世界に出て、おれは日本人だと胸を張って、自分の考え方も堂々と言えて、そしてみんなと握手をできる大きな人間を育てようではありませんか。
橋だとか、駅だとか、道路だとか、そういうものは作っている過程が見えます。しかし、教育は目に見えないんです。でも、二十年後、三十年後、五十年後には必ずその結果が出るんです。その結果が間違ってたら、今度は直すのにまた五十年かかるんですよ、皆さん。
私は、今私たちの年代が叡智を結集して、この日本国のために頑張りたい、そう思います。大変生意気なこと言いました。ありがとうございました。
(この後、森田氏はヒット曲「さらば涙と言おう」を熱唱し、大いに会は盛り上がり終了いたしました)
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
森田健作氏をお招きいたしました。
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講演の概要は次の通りです。
記念講演
「よみがえれ、日本人!」
―家庭力が子供たちを救う―
俳優・元衆議院議員
森田(もりた)健作(けんさく) 先生
私の父親は明治生まれでありまして、去年他界しましたが、それこそ、お祝いの日、勿論建国記念の日を含めて日本の国旗日の丸を掲げたものであります。
私の実家の客間には教育勅語が飾ってありました。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」で、私の大好きなところは、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」というところです。
丁度、私たち団塊の世代は、当時日教組が、そういうものを否定したような教育が多うございました。その中で父親は私に「どんなに時代が過ぎようと、どんなに新しいものが入ってこようと、いいものはいいんだ!」と言っておりました。私もまったく賛成でございます。
私の叔父二人も、一人はミンダナオ島、そして一人は太平洋上で亡くなっております。父親からそういう話を聞くたびに、なるほど、先人達は自分の青春、命を賭けてこの国を守ってきたんだなと感じます。
私たちは平和と豊かさを享受しております。しかし、それは先人たちの、それこそ素晴らしい努力と血と汗の上に立っているんだということを、私は改めて建国記念の日に、今日来る前、息子にも言ってきたんです。
私も約十二年、国政の場で働かせていただきました。皆さん、日本人というのは素晴らしい国民ですよ。国連などでも利害と利害のぶつかり合いで、言うなれば、武器を持っていない戦場ですよ。各国の要人にも会いました。しかし、振り返ってみて、我が日本の国民性こそ、人を思いやる、和を大切にする、これは、私たち日本人として大いに誇れるところなのかなあと思います。(中略)
ある東南アジアの国会議員の皆さんと会ったとき、
「森田さん、日本はあれだけの経済大国で、あれだけの力を持っているのに、なぜもっと指導力を出さないんだ。なぜもっと自分の意見をはっきり言わないんだ。やったっていいじゃないか。私たちはそれを期待している。」そういうことを何人もの要人、経済界の方から聞かされました。(中略)
以前、各国の野球少年がアメリカで親善試合をやったんですが、私の日系の友人が行ったんですね。そして、試合をやる前に、アメリカの国旗を仰いで国歌斉唱であります。みんな立ちました。少年達も役員も立ちました。ところが、日本の子供達だけみんな座っている。中にはポップコーン食べながら、「おお、これが星条旗か。」なんてやってる者もいる。それを見た友人は、「なんなんだ、日本人は。そりゃあ日本の中では色んな考えもあるかもしれない。でも、これは世界だ。その国に来たら、その国の国旗国歌に対して敬意を表するのは当たり前のことだ。それを何で日本人はできないんだ!」
私、これを聞いたときに、「ああ・・」と思った。これから日本人は国際人になるんだ、世界との外交はなんだかんだと偉そうなことを言っているわりには、当たり前のことをちっとも私たちは子供達に教育してこなかったんです。日本の教育は間違っていたんですよ、皆さん!(中略)
でも皆さん、私たちが踏ん張らないでどうしますか。「定年を迎えた」「オレはもう終わった」終わったじゃないですよ!皆さん、頑張ろうという気持ちを持ちましょうよ。そして、必ず私は、私たちが頑張れば、子供達がそれこそ世界に出て、おれは日本人だと胸を張って、自分の考え方も堂々と言えて、そしてみんなと握手をできる大きな人間を育てようではありませんか。
橋だとか、駅だとか、道路だとか、そういうものは作っている過程が見えます。しかし、教育は目に見えないんです。でも、二十年後、三十年後、五十年後には必ずその結果が出るんです。その結果が間違ってたら、今度は直すのにまた五十年かかるんですよ、皆さん。
私は、今私たちの年代が叡智を結集して、この日本国のために頑張りたい、そう思います。大変生意気なこと言いました。ありがとうございました。
(この後、森田氏はヒット曲「さらば涙と言おう」を熱唱し、大いに会は盛り上がり終了いたしました)
(講演一部要約・文責奉祝運営委員会)
浜松市建国記念の日奉祝行事でお招きした講師、及び講演タイトル一覧
浜松市建国記念の日奉祝行事でお招きした講師及び講演タイトル一覧
昭和61年 加瀬英明氏(外交評論家)
「天皇制はなぜ有難いか」
昭和62年 杉田幸三氏(作家)
「神武創業と御皇室」
昭和63年 村尾次郎氏(歴史学者)
「神武天皇御船出の伝説と私」
平成1年 村松剛氏 (文芸評論家)
「天皇陛下と私」
平成2年 高橋史朗氏 (明星大学助教授)
「現代における天皇」
平成4年 伊藤哲夫氏 (日本政策研究センター所長)
「建国記念の日の意義を考える」
平成6年 小野田寛郎氏 ((財)小野田自然塾理事長)
「極限で私を支えたもの」
平成8年 百地章氏 (日本大学教授)
「皇室と憲法」
平成9年 金美齢氏 (JET日本語学校校長)
「日本の心再発見」
平成10年 安西愛子氏 (声楽家)
「日本の心を歌いつづけて」
平成11年 細川隆一郎氏 (政治評論家)
「日本人の自覚」
平成12年 中條高徳氏 (アサヒビール名誉顧問)
「日本人よ「歴史」と「公」を取り戻せ」
平成13年 橋幸夫氏 (歌手)
「日本のこころ」
平成14年 工藤雪枝氏 (キャスター・ジャーナリスト)
「日本人のこころ」
平成15年 呉 善花氏 (評論家)
「日本人のこころを探る」
平成16年 渡部昇一氏 (文明批評家)
「かくて歴史は始まる
平成17年 篠沢秀夫氏 (学習院大学名誉教授)
「日本自立宣言」
平成18年 船村 徹氏 (作曲家)
「我が演歌的人生考」
平成19年 米長邦雄氏 (日本将棋連盟会長)
「強い日本人を育てる」
平成20年 森田健作氏 俳優・元衆議院議員
「よみがえれ、日本人!」
平成21年 桂由美氏 (ブライダルファッションデザイナー)
「日本文化を世界に発信して」
平成22年 クライン孝子氏 (ドイツ在住・ノンフィクション作家)
「日本よ、再び立ち上がれ!」
平成23年 竹田恒泰氏 (作家・慶應義塾大学講師)
「日本人にとって建国記念日とは何か」
平成24年 占部賢志氏 (中村学園大学教授)
「甦る瑞穂の国の物語」
平成25年 田母神俊雄氏 (元航空幕僚長)
「志は高く、熱く燃えよ!」
昭和61年 加瀬英明氏(外交評論家)
「天皇制はなぜ有難いか」
昭和62年 杉田幸三氏(作家)
「神武創業と御皇室」
昭和63年 村尾次郎氏(歴史学者)
「神武天皇御船出の伝説と私」
平成1年 村松剛氏 (文芸評論家)
「天皇陛下と私」
平成2年 高橋史朗氏 (明星大学助教授)
「現代における天皇」
平成4年 伊藤哲夫氏 (日本政策研究センター所長)
「建国記念の日の意義を考える」
平成6年 小野田寛郎氏 ((財)小野田自然塾理事長)
「極限で私を支えたもの」
平成8年 百地章氏 (日本大学教授)
「皇室と憲法」
平成9年 金美齢氏 (JET日本語学校校長)
「日本の心再発見」
平成10年 安西愛子氏 (声楽家)
「日本の心を歌いつづけて」
平成11年 細川隆一郎氏 (政治評論家)
「日本人の自覚」
平成12年 中條高徳氏 (アサヒビール名誉顧問)
「日本人よ「歴史」と「公」を取り戻せ」
平成13年 橋幸夫氏 (歌手)
「日本のこころ」
平成14年 工藤雪枝氏 (キャスター・ジャーナリスト)
「日本人のこころ」
平成15年 呉 善花氏 (評論家)
「日本人のこころを探る」
平成16年 渡部昇一氏 (文明批評家)
「かくて歴史は始まる
平成17年 篠沢秀夫氏 (学習院大学名誉教授)
「日本自立宣言」
平成18年 船村 徹氏 (作曲家)
「我が演歌的人生考」
平成19年 米長邦雄氏 (日本将棋連盟会長)
「強い日本人を育てる」
平成20年 森田健作氏 俳優・元衆議院議員
「よみがえれ、日本人!」
平成21年 桂由美氏 (ブライダルファッションデザイナー)
「日本文化を世界に発信して」
平成22年 クライン孝子氏 (ドイツ在住・ノンフィクション作家)
「日本よ、再び立ち上がれ!」
平成23年 竹田恒泰氏 (作家・慶應義塾大学講師)
「日本人にとって建国記念日とは何か」
平成24年 占部賢志氏 (中村学園大学教授)
「甦る瑞穂の国の物語」
平成25年 田母神俊雄氏 (元航空幕僚長)
「志は高く、熱く燃えよ!」
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